Ⅳ.視察報告

2.3月30日(土)

(4)旧「石垣空港」視察

旧石垣空港ターミナルビル.png旧石垣空港ターミナルビルANAターミナルビル.pngANAターミナルビルANAターミナルビル定礎.pngANAターミナルビル定礎

次の視察先は旧「石垣空港」でした。
旧「石垣空港」は、1961年に供用を開始した空港ターミナルビル(主にJTA・RACが使用)と、1990年にANA(当時はエアーニッポン)が設置し供用を開始したターミナルビル(ANAが使用)に分かれていました。

旧空港は、国土交通省大阪港究局が管理する地方空港でした。1,500mの滑走路1本を持ち、「海上保安庁第十一管区海上保安本部石垣航空基地」が併設されていました。

この地は、旧「日本軍海軍飛行場」であり、地元の空港誘致活動を受け、1943年から空港建設に取り掛かり、1956年から民間航空による運航が開始されました。なお、当時の沖縄はまだ米国統治でした。

1968年、滑走路が1,200mから1,500mに延長され、YS-11型機の運航が始まります。  
そして、1972年に沖縄が日本復帰し、空港は沖縄県の管理に移行しています。

1979年に暫定ジェット化空港として供用が開始されたものの、1982年8月26日、定期便(那覇→石垣)のB−737が着陸後、滑走路をオーバーラン。機体は大破、炎上するという事故が発生しました。

この事故を受け、1987年8月、滑走路の南端を500m延長し、2,000m滑走路建設の計画が発表されます。

その後、新空港の建設計画へと計画変更になります。新空港事建設予定地をめぐっては、当初、白保の海の埋立という案でしたが、地元のみならず、国内世論の反対が強まり、白保地先での建設を断念、新空港の建設位置を現在地のカラ岳東側海上に変更されるなど、新空港建設には紆余曲折がありました。

「石垣空港」(旧空港)のANAターミナルビルは、1990年(平成2)6月に竣工されており、まだ22年余しか使われていません。当然、減価償却は終わってないと思うのですが、「新石垣空港」は全日空グループの「石垣島GC」(を閉鎖した)跡地に造られたということを聞いて、なにやら腑に落ちた気がしました。

(5)白保の海視察

白保の海岸_1.png白保の海岸_2.png白保の海岸白保の海岸_3.png

最後の視察地は、「白保の海岸」でした。
ここ「白保の海」には、北半球で最大、最古といわれるアオサンゴの大群落や巨大な塊状ハマサンゴなどが群生し、世界的にも貴重なサンゴ礁生態系がある海です。

前述のとおり、「新石垣空港」建設にあたっては、1982(昭和57)年3月に「白保の海岸」に新空港を建設するということで国の設置許可が下り、事業が着手されました。

しかし、地元の反対、全国的な反対世論が巻き起こり、様々な反対運動を経て、1988(平成1)年、国ならびに沖縄県・石垣市は白保地先での建設を断念し、新空港の建設位置を現在のカラ岳東側海上に変更しています。

この「白保の海」に来てみると、改めて、その美しい海岸線、透き通るような青い海に魅了されてしまいます。

波打ち際の先には素晴らしい珊瑚礁群が広がっていることを考えると、この地を埋め立て、新空港を建設するという無謀なことが行われずに良かったと思いました。まさに、人類史に汚点を残す結果となっていたでしょう。

いつまでも、この美しい海が残されることを祈って、この地を跡にしました。

A