「3・11東北大震災」
宮城県内被災地視察(政務調査)報告 その6

2021-06-10

5.まとめ

昨年(2011)5月、「3・11東北大震災」の被災地である宮城県を初めて訪れました。特に被害の大きかった沿岸部、松島町〜東松島市〜石巻市〜女川町を中心に視察しました。

当時は被災から2ヶ月後でしたが、震災がれきが街々に残されたまま、凄惨さを極めていました。自衛隊の尽力により、車両は幹線道路を中心に、なんとか通行できるような状況でしたが、被害家屋、工場などを見るにつけ、胸が締め付けられる思いでした。

各地の小中学校や公的施設は避難所となっており、何万人という方々が避難生活を強いられていました。自衛隊による炊き出しも続いており、簡易風呂などが設置されていました。

3・11東北大震災_宮城県内被災地視察_27.png3・11東北大震災_宮城県内被災地視察_28.png

前回の視察から1年を経て、被災地の様子がどのように変わったのか、復興が進んでいるのか、現在の課題は何かなどを知るため、改めて宮城県内の被災地を訪れました。
津波被害で壊滅的な打撃を受けていた町並みは、いまではがれきの大方は取り除かれ、更地が広がるだけとなっていました。なかなか当時の現状を思い浮かべることは難しくなっています。
しかし、これだけを見て、復旧のめどが立ち、復興が進んでいるというのは早計過ぎます。なぜなら、人々の生活はまだまだ震災前の状態からは程遠く、生活設計すら立ってないという方々も多くおられます。また、水産業を中心に、生活の糧、生業を奪われた多くの方々がおられます。地域経済の復興、再興は、まさに震災復興の大きな柱といえます。

しかし、こうした現地の復興を阻害する大きな要因に、災害廃棄物があります。前述のとおり、女川町では44万t、石巻市では616万トン、東松島市166万トン、松島町81万トン、仙台市135万トン(宮城県内の総量は1,573万トン)にも上っています。
現状では、災害廃棄物の仮置きは市・町有地だけではとても足りず、民有地の借り上げ、工場地などを使って一時保管・仮置きし、分別、焼却等の処理が続けられています。
石巻市では、巨大な焼却プラントが建設中ですが、これが全稼働したとしても、処理には何十年もかかります。

したがって、震災復興を後押しするためには、全国民が一致協力して被災地の震災廃棄物処理に理解を示し、協力すべきだと考えます。

福岡県議会は、本年2月県議会で「東日本大震災による災害廃棄物の早期受け入れに関する決議」を可決しました。現在、県内の自治体・一部組合・衛生施設組合等で震災廃棄物のうち、焼却可能な可燃物の受け入れをはじめ、それぞれの自治体の事情に応じ、出来る処理方法でのがれき受け入れを要請しています。

北九州市は、すでに石巻市の震災廃棄物のうち、焼却可能な可燃物の試験的な受け入れを行っています。今回、私が1番目に訪れた石巻市川口町(旧山西造船跡地)の震災廃棄物仮置き場ですが、北九州市が放射線量の調査を行ったものも、この場所です。

 [北九州市「石巻市の仮置場における災害廃棄物の 放射能濃度の測定結果」


http://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000111990.pdf

 [宮城県「宮城県内における災害廃棄物の放射能度測定調査結果」


http://www.pref.miyagi.jp/press/pdf/111125-5.pdf

震災廃棄物の全国的な受け入れについては、放射能の問題もあり、心配されたり、反対される方も多くおられます。国は、こうした方々のご意見にも真摯に耳を傾け、丁寧な説明とご理解を頂く努力を続けていかなければなりません。もちろん、受け入れを表明している自治体、検討している自治体も同様です。

本県では、前述のとおり県議会での受け入れ決議案を採択しましたが、実際に、県内の各自治体が受け入れが出来るよう、県議会議員も地元で汗をかく必要があると思います。そのためにも、現地・被災地の状況をしっかりと把握することが肝要であるし、放射線についての知識や対策なども勉強する必要があります。

私は、今回の震災被災地の2度目の視察を終え、「復興支援とは何か」ということを改めて考えました。震災廃棄物の受け入れについても、県民・市民の方々への説明責任を果たす努力とともに、震災復興に向けた支援を強化して参ります。A

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