レポート

2019-03-13

はらなか的、中央区の魅力紹介(その1)

 坂本龍馬は薩長同盟の立役者として有名ですが、その起草文を考案したのは福岡藩士・筑前勤王党の月形洗蔵です。月形洗蔵は、私の最も好きな歴史上の人物です。

 月形の書いた薩長同盟のシナリオは、龍馬の盟友である中岡慎太郎を通じ、当時、大宰府にも来ていた坂本龍馬に届いたのです。

 福岡藩には、薩長に劣らぬ勤王の志士が多くいました。中央区には維新にちなんだ歴史スポットが数多く点在しており、その魅力をもっと多くの方に知ってほしいものです。

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月形洗蔵の墓碑
 月形仙蔵は、私が尊敬する、そして、大好きな歴史上の人物です。福岡藩・筑前勤王党の一員であり、維新をめざした尊王攘夷派の志士です。薩長同盟の起草文を書いたことでも知られています。中央区天神「少林寺」に墓碑があります。

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加藤司書の碑
 加藤司書は筑前勤王党の原動力でした。尊王攘夷をめざした加藤であったが、最期は福岡藩により博多「天福寺」で自刃を命ぜられました。加藤司書今様歌碑は福岡市中央区西公園「光雲神社」にあり、写真の碑は博多区祇園にあります。

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平野國臣と平野神社
 平野國臣は、福岡藩の攘夷派志士として奔走し、西郷隆盛ら薩摩藩士や勤皇の志士らと親交をもち、討幕論を広めたが、幕府によって京都・六角獄舎に投獄。「禁門の変」の際に生じた火災を口実に殺害されました。平野を祀る「平野神社」は中央区今川にあります。

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野村望東尼と平野山荘
 望東尼は勤皇歌人ともいわれ、住まいの平尾山荘は当時の勤皇派のアジトになっていました。長州から逃れた高杉晋作は、ここで匿われていました。しかし、勤皇派を匿った罪で福岡版から姫島(現糸島市沖)に流罪となりましたが、これを高杉晋作が救出し、長州に迎え入れています。望東尼の像と平尾山荘(再現)は中央区平尾にあります。

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