レポート

2021-06-10

魅力満載、見どころ満載 「原中的中央区の歩き方」

こんにちは、福岡県議会議員 原中誠志です。
今回、これまでの「原中的中央区の歩き方」をリニューアルし、更にスケールアップして新装開店いたしました!!
私の選挙区であります福岡市中央区についてご紹介させて頂きます。題して、「魅力満載、見どころ満載 福岡市中央区の歩き方」です。内容は、随時、加筆していきますので、お楽しみにしてください。

[その1]:「万華鏡都市」福岡

皆さんは、「福岡の街」と聞いて、どんなイメージをお持ちですか。天神を中心とする一大商業都市、海の幸や山の幸豊富なグルメ都市、大濠公園や百道浜などの自然豊かな都市。はたまた、九州一の歓楽街である中洲を思い浮かべる方は、相当の左党の方ですね。いずれにせよ、活気に包まれ、華やかな都市というのが大方の見方ではないでしょうか。

では、「福岡の歴史」と聞いて、何を思い浮かべられるでしょうか。博多山笠、福岡城(別名・舞鶴城)跡、金印、鴻臚館などが有名ですね。また、水稲耕作伝来の地、日宋貿易の窓口など、古来より大陸との関係が深い地であることから、文化・芸術・宗教の伝来地として想いを馳せる方々も居られると思います。

事実、縄文〜弥生時代の遺跡をはじめ、中世遺構も数多く残っています。日本における稲作農耕の開始地とされる板付遺跡。蒙古襲来に備え、鎌倉幕府によって1276(建治2)年に博多湾の海岸線に築かれた元寇防塁。そして、1784(天明4)年志賀島(福岡市東区)発見された金印(この金印は57(建武中元2)年に、後漢の初代皇帝光武帝が倭国の使者に授けられたものと言われています)。これらの遺跡や遺構、遺物は、遥か昔から、博多が朝鮮や中国などの諸外国と密接に繋がりを持っていたことの証明です。

香椎宮、箱崎八幡宮、櫛田神社、住吉神社など、全国的にも有名な神社をはじめ、古刹・有名寺も数多く存在しています。福岡・博多には多くの寺社があり、京都・奈良に続いて神社・仏閣の数が多い都市です。

唐から帰国した弘法大師が建立した寺としては日本最古の東長寺(博多区)をはじめ、日本最初の禅寺として有名な「聖福寺」があります。そして、「博多山笠発祥の地の碑」、「博多織の始祖満田弥三右衛門の碑」、「饂飩・蕎麦発祥之地の碑」、「御饅頭所の碑」、新派劇の創始者「川上音二郎の墓」がある「承天禅寺」は、全国から観光客がやってきます。

今日、博多を代表する食べ物にラーメンとうどんがありますが、日本茶・うどん・そば・素麺・饅頭・羊羹などは、実は博多の寺院から全国に発信されたものです。

近世から近代に入ると、「修猷館」と呼ばれる東学問所、「甘棠館(かんとうかん)」と呼ばれる西学問所が藩によってつくられ、貝原益軒、亀井南冥という優れた学者が学問を競いました。
そして、幕末期になると、黒船の来襲を防ぐために築かれた砲台の跡である「須崎台場跡」(中央区天神5丁目)、明治期の近代建築の様相を今に伝える「赤煉瓦文化館」(旧日本生命九州支店:中央区天神1丁目)、明治時代のフレンチルネッサンスを基調とする木造公共建造物としては極めて貴重な建造物である「旧福岡県公会堂貴賓館」(中央区西中州)などは、福岡の近現代史の生き証人でもあります。

福岡の地は、古来より、博多湾を天然の良港として、中国大陸・朝鮮半島と古くから対外交流の門戸として栄えてきました。そして、日本の歴史と文化形成に大きな役割を果し、それゆえ「古来からの国際交流の拠点」とも言われています。(※1)

大陸との交流の中から育まれてきた独自の歴史を持ち、中世・近世からも続く文化・伝統がいまも街のあちこちに色濃く残っています。

幕末には、筑前勤王の志士が福岡の町を駆け巡り、近・現代にかけては我が国の発展に呼応するかのように、金融・経済の中心都市として華やかに栄えてきました。
福岡の街は、古来・近代・現代が色よく調和し、華やかさのなかにも古風な佇まいがあり、現代風のなかにも伝統が息づいており、不夜城のような都市にあっても鎮守の森があり、魅惑と魅力に包まれ、見る者、訪れる者を飽きさせない街です。
私は、こうした福岡の街を「万華鏡都市」と呼んでいます。

※1 福岡市教育委員会文化財部文化財整備課「福岡の歴史」より
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/history/

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