「ラオス人民民主共和国」視察報告 その6

Ⅸ.視察報告

2.1月31日:ルアンパバン

(1)僧侶の朝の托鉢
ルアンパバンの朝は、僧侶の托鉢で始まります。

午前6時前になると、ルアンパバンのメインストリート(Sisavangvong Road:「国立博物館」の前の通り)に、地元の方々が出てこられ、歩道や道路わきにゴザをひいて正座したり、座イスに座られたりします。これは、托鉢僧を待っておられるのです。

そして、こうした街の人々とともに、この托鉢の様子を見学しようと大勢の観光客が集まってきます。

托鉢の様子01.png午前6時になると、あちこちの寺で鉦が鳴らされ、托鉢が始まります。托鉢僧がそれぞれのお寺から出てきて、一列になり、無言で道路を歩いてきます。「ヒタヒタ」という裸足の足音が街中に響きます。

出迎える街の人たちは、それぞれ手に手にお櫃を持ち、中には蒸したもち米を入れています。めいめいゴザの上に正座したり、托鉢の様子02.png座イスに座って托鉢僧が目の前に来るのをじっと待っています。   

托鉢僧が目の前に差し掛かると、お櫃の中から一握りの蒸し米を差出し、僧侶一人ひとりに与えます。このとき、街の人たちは托鉢の様子03.png托鉢の様子それぞれ正座や中腰で、僧侶に敬意を表していました。

托鉢は、街のあちらこちら、辻々で行われています。

メインストリートでは、大勢の観光客が托鉢僧を取り囲むように写真やビデオを撮っていますが、一本、筋を入ると、本当に静整然とした中に厳かさを感じさせる.png整然とした中に厳かさを感じさせるかに、昔ながらの托鉢の様子を見ることができます。

街の人たちは、1年365日、毎朝、この托鉢への布施を行っているということです。ラオスの国民の多くが本当に敬虔な仏教徒であることがよく判ります。






(2) ルアンパバン朝市
ルアンパバン朝市.png托鉢の後は、ルアンパバンのメインストリート(Sisavangvong Road)のすぐ裏手にある朝市の様子を見に行きました。場所は、先ほどの托鉢の場所から歩いてすぐのところです。

この朝市は、ほぼ毎日開かれており、主に食料品(肉、魚、野菜、果物、穀物類)、日用品などが売られています。

川魚.png川魚鶏肉.png鶏肉精肉.png精肉

(3)ラオス「国立スファヌオン大学農学部」(Souphanouvong University)
次に訪問したのは「国立スファヌオン大学農学部」です。当日は、シアヌウォン農学部長より大学の概要説明を受けました。

学部長によると、現在、ラオス国内に5つの国立大学があるそうで、スファヌオン大学は2003年、国内3ヶ所目の設立ということです。

大学の校門.png大学の校門シアヌウォン農学部長.pngシアヌウォン農学部長

なお、大学の建設は韓国の無償援助によるものだそうです。

大学は6学部あり、そのうち農学部の学生数は約800人です。
現在、JICAの支援で同大学の教員が日本に留学中ということです。また、JICAによる技術支援・技術交流についても話が進められています。   

ラオスは農業国家であり、労働人口の約7割が農業に従事しています(2010年、ラオス統計局)。したがって、政府としても国内の農業生産率の向上=業従事者の技術力向上、収益性の拡大、農家の収入の拡大に力をれており、そのため同大学としても農学部に力を入れています。

ちなみに、社会主義制度の下、土地の個人所有は認められていません。したがって、土地は国家(県)からの借用(借地)となります。

左:1940年代の森林、右:2002年の森林.png左:1940年代の森林、右:2002年の森林ラオス国は1940年代には70%であった森林率が、2002年には41.5%まで低下しています。

これは、ラオス北部山岳地域では依然焼畑に依存している貧困住民が多く、焼畑移動耕作が森林減少の原因の一つとなっているからです。

「JICA」報告ならびに「ラオス政府報道」によれば、近年、ラオス北部において外国投資によるゴムや飼料用トウモロコシといった商品作物栽培が急速に広がり、土地・森林利用形態が大きく変わってきており、このことが森林破壊に拍車を掛けており、森林の保全・持続的利用に対する懸念材料となっているそうです。

そのため、この状況を改善するため、ラオス国政府は以下の4つを達成すべき目標として掲げた「森林戦略2020」(2005 年)を策定しています。

  • ①約600 万haの潜在森林の再生及び50 万ha の植林による森林率70%の達成
  • ②世帯所得、国家収入および外貨獲得貢献に寄与する林産物の持続的生産の創出
  • ③絶滅が危惧されている多くの種及び固有の生息地の保護
  • ④土壌、流域及び気候を含んだ環境の保全

更に、ラオス政府は同戦略に基づき、2007 年には「森林法」(1996年制定)改正、2008 年には「野生生物法」の制定、農林省内に森林監査局及び各県への森林監査事務所を新設する等、各種政策・制度を打ち出しています。

また、2011 年6月の「政府国民議会」におい、「天然資源環境省」の新設が決定され、森林セクターについては農林省森林局内にあった保護林及び保全林に関する部署が同年9月に「天然資源環境省」に移行しています。

ラオス政府は、2007 年のCOP13 によって2012 年以降の京都議定書に替わる枠組みの一つとして合意された「森林減少・劣化抑制による二酸化炭素排出量の減少」(REDD)についても森林保全の有望な手段としてとらえ、「REDDタスクフォース」を設立し、実施準備に取り組んでいます。

以上のように、ラオス国における森林保全情勢が目まぐるしく変化する中、共有林等の新たな概念や省庁再編に対応すべく、2012 年12 月の「国民議会」での審議を目指し、現在ラオス政府は我国を含む各国のドナーの支援を受けつつ、森林法及び関係法令の改正・制定に向けた検討を行っています。

そして、ラオス政府による森林保全、持続可能な森林活用、森林率70%台の回復に向け、日本政府とラオスとの2国間協力も行われています。

ラオス北部6県を対象に、焼畑耕作の安定化や貧困削減に効果的な森林の保全・復旧、及び生計向上を図ることを目的とした「森林管理・住民支援プロジェクト(FORCOM)」を2004年2月から5年の期間で実施されました。

このプロジェクトでは、「住民支援プログラムツール(CSPT)」を通じて、豚やヤギなどの家畜飼育、魚の養殖、アグロフォレストリー、織物生産、果樹の栽培、水田の拡張等の焼畑代替手段が農民に普及され、住民の生計向上及び焼畑抑制の成果が上がっています。 

しかし、「FORCOM」では地域住民の生計向上に主眼が置かれ、直接森林減少の抑制に貢献する活動が十分ではなかったことや、必ずしも「CSPT」が焼畑安定化に果たした効果が十分明らかにされていない面もありました。

また、「FORCOM」開始時と比べ、焼畑による陸稲栽培から商品作物栽培といった土地利用の変化が顕著に進み、焼畑外収入の増加によって焼畑を抑制させるという「CSPT」のアプローチだけでは、森林減少に対処できなくなり、土地利用を見直すことが急務となってきました。

一方、ラオス国政府は土地森林利用に対し、2007年に土地法を改定し集団による土地の利用権を認め、新たな参加型土地森林利用計画マニュアルを作成する等制度的な改善を進めています。

さらに、気候変動対策として「森林減少・劣化からの温室効果ガス排出削減(Reduced Emissions from Deforestation and Forest Degradation:REDD)」が森林保全及び森林に依存する農民の生計向上に極めて有用な手段と捕らえ、REDDの実施に向けた取組を開始されました。

このような中で「CSPT」改善、土地森林利用計画も含めた、より包括的にラオス北部の森林減少問題に対処できるツールの開発が求められているそうです。

校門前にて.png校門前にて以上のような背景から、ラオス農業省は日本政府に対し、ラオス北部における森林減少・劣化の抑制をはかる手法の開発を行う技術協力を要請しています。

今回の視察を受け、県として日本政府に働き掛けが出来ないか、会派内でもしっかりと議論していきたいと思います。



(4)「ワット・シェントーン寺院」(Wat Xieng Thong)
本殿.png本殿この寺院は、1560年にセティラート王によって王家の菩提寺として建立されました。1975年頃に共産主義勢力が政権を取るまで、ラオスの王国の王家の保護下にあった寺院です。

屋根が軒に向かって低く流れるように作られており、典型的なルアンパバーン様式の建物ということであり、ルアンパバーンで一番荘厳な寺院でもあります。

本堂裏側のタイル壁画.png本堂裏側のタイル壁画王の霊柩車.png王の霊柩車霊柩車を納めている堂の内部.png霊柩車を納めている堂の内部

本堂裏側のタイルによって描かれた「生命の樹」のレリーフは繊細で美しく、とても見ごたえがあります。かつては、王族の神聖な儀式に使用され、シー・サワンウォン王の誕生した聖地でもあります。また、同じ敷地内にある礼拝堂には、当時の王様が使用した霊柩車も納められています。

王宮(現「国立博物館」)と同様、「ワットシェントーン」はメコン川の近くに設置され、歴代の王の戴冠式が行なわれた場所です。1880年、境内に「トリピタカ図書館」も付設されているそうです。

1887年に都市が包囲されていた間も損害を受けませんでした。これは、「黒旗軍(Black Flag Haw)」のリーダーであるデオ・ヴァン・トリが若い頃にここで修道僧として勉強したためで、寺院はルアンパバン王国を打倒する際の本部として使われたそうです。
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