2011年

宮城県 震災被災地視察

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宮城県 震災被災地視察

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宮城県 震災被災地視察

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宮城県 震災被災地視察 その1

2011年5月30日〜31日

今回の宮城県内の震災被災地視察は、5月29日(日)夕刻の便で福岡空港を経ち、羽田空港に着。その後、東京駅から仙台まで東北新幹線で移動。同日23時過ぎに仙台入りしました。
翌30日(月)から31日(火)にかけ、宮城県内の地震被災地を視察しました。現地での移動は、レンタカーとしました。
以下に、視察報告をいたします。

1.宮城県松島町

30日は、まずは宮城県松島町「大観荘」に事務局を構えている「自治労本部震災復興支援事務局(自治労ベースキャンプ)」に向かいました。

当日はあいにく台風の影響で東北地方は暴風雨。強風と横殴りの雨で、車も徐行運転。加えて、震災の影響による地盤沈下もあり、基幹道路の一部が冠水、立ち往生している車の救出に消防隊が出動するなど、交通もまひ状態。仙台を朝8時に出発したのですが、松島に着いたのは9時半過ぎ、1時間半以上もかかりました(通常、40〜50分ほど)。

shinsai_01.jpg自治労ベースキャンプでは、本部福澤副委員長、本部高山書記のご対応を頂きました。県内の被災地の状況、復旧・復興の現状に加え、全国から被災地にボランティア支援に来られた自治労組合員の活動状況などを詳しく説明して頂き、事前の情報をインプットすることができました。

自治労ベースキャンプで説明を受けた後、「大観荘」を出発、国道45号線を北東に向かい、まずは松島海岸に向かいました。

shinsai_02.jpgshinsai_03.jpg松島海岸周辺は、今回の津波被害は比較的軽微であったと言うことです。これは、沿岸に浮かんでいる島々が自然の防波堤となり、津波のエネルギーを低減させたためと言われています。

しかしながら、それでも海岸沿いの商店(お土産屋、食堂など)は1階部分が津波被害を受け、シャッターがヘシ曲げられたままのお店や、激しく損傷した商店などが多数ありました。

その後、松島町を出発。国道45号線を更に北東し、三陸自動車道松嶋北ICで高速に乗り、石巻市内に向かいました。

2.宮城県石巻市

三陸自動車道松嶋北ICで高速に乗り、石巻ICで降り、国道251号線を通って石巻市内に入りました。

石巻市内に入ったとたん、風景が一変。進行方向に向かって右手の海岸沿いの工場群、そして、左手の住宅街は津波で激しく破壊されており、津波の爪痕がいきなり目の前に飛び込んできます。そこにあっただろう住宅郡はガレキの山と化しており、工場の頑丈な塀もあちこち破壊され、津波のエネルギーの凄まじさを実感しました。石巻市は、津波によって4万4,000世帯が全壊、3万4,000世帯が半壊しており、その凄惨さを改めて実感ました。

その後、道路に沿って東に移動、「日和山公園」に向かいました。ここは、石巻市内が一望できる高台の公園です。

「日和山公園」から石巻市内を見て、絶句。しばらく言葉が出てきませんでした。海岸線から内陸1kmほど、幅は十数kmにわたり、街は壊滅状態。咄嗟に浮かんできたのは、(映像でしか見たことはありませんが)まるで空襲を受けた都市のようだということです。それは、津波による破壊に加え、火災が市内沿岸部を襲ったからです。
shinsai_04.jpg「日和山公園」から石巻市内を望むこの火災の火元は、津波により工場から流れ出た燃料類や車から漏れたガソリンなどが何らかの理由で着火し、冠水した市街地に燃料などが漂着して燃え広がり、津波によって押し寄せたがれきを伝って内陸地まで延焼が広がったと言われています。A

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